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九州の溯渓

主に九州の溯渓記録を集めたものです。 良かったら覗いていって下さい。

豊後街道ラン 【熊本城:札の辻~大分市鶴崎:法心寺】

11回の調査を経てようやく完走できホッとしています。

豊後街道(大分側では肥後街道)は,加藤清正公が整備したとされる,熊本城から大分鶴崎(肥後の飛地)までの街道のことです。無論,一から整備した訳ではなく,それまであったと思われる各地を繋ぐ交易路(例:塩の道など)を改良したものです。

通説では31里(124km)とされていますが,実際はGPS測定で140,22km(35里)あり,予想以上に時間がかかりました。この距離になるともはやランという枠を越えて,「旅」となります。

コース調査は,文献(国誌,歴史の道),地元人への聞き取り,自治体への問い合わせ等で可能な限り,綿密に調べ上げました。走れる(歩ける)所は山道であろうとも極力,当時の街道を辿っています。

長くなりますが,よかったらご高覧を。

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左:出発点の「札の辻(ふだのつじ)」。ここが熊本城から延びる各街道の起点。2:51スタート。
右:まずは城内を抜けていく。

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左:ここから城を離れる。城の夜景もなかなかのもの。

右:最初の一里木。一里は約4km。豊後との県境まで16里木を数える。一里の距離は当時の人が1時間で歩く距離が目安とされた。測定の結果,1~16里木間の平均間隔は,4,360m(4,040~4,740m)。

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左:二里木のすぐ先にある武蔵塚公園。武蔵さんに今回の完走を祈願していく。
右:大津の町。当時はここが最初の宿泊地だった。約20km。順調。トラブルなし。

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左:清正公お得意の掘り込み道。両側から挟撃するのに絶好な地形。
右:大津の端の清正公道(せいしょこどう)。現在は北半分が道路,南半分が当時の街道として残存。

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左:堀ヶ谷(ほりがたに)から峠の茶屋までの尾根道。顕著な窪地が続く。いよいよ阿蘇の外輪山越えに入る。

右:二重ノ峠広場。街道は車道の北側を通っていたと考えられている。

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左:二重ノ峠の石畳。長さ,幅,保存状態など,現存する中で最良のもの。
右:石畳の下部。外輪山を阿蘇谷へ一気に下る。

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左:八里木跡とされる場所(里木間隔から考えると,恐らく本来の場所はもっと手前の西寄り)。約35km地点。7:37。

右:的石(まといし)茶屋跡。大津宿(おおづしゅく)を発った一行は,二日目,二重ノ峠を越え,この地で昼食を摂った。

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左:日が昇ってくると周囲は色めいてくる。それにあわせ自然と活力が湧いてくる。
右:内牧(うちのまき)手前からは車道を離れ,北側の山林を通る。ここもきれいに整備されている。

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左:田子の山の切通。ここを越えると二日目の宿だった内牧宿(うちのまきしゅく)へ。

右:内牧の枡形(信玄曲がり)。宿内が一望できないように意図的に道筋を曲げてある。防衛上の構造の一つ。ここだけでなく,先の坂梨,久住,今市(いまいち),野津原(のつはる)などでも同様の構造が見られる。

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左:肥後の赤牛。阿蘇を象徴する長閑な風景。

右:坂梨宿(さかなししゅく)の入り口(右手)。約55km地点。10:30。日が照り始めてきた。気温は20℃越え。暑さが苦手な自分としては,状況悪化。

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左:坂梨を抜けると街道中,最難と呼ばれた滝室坂(たきむろざか)への登りにかかる。「大坂に坂なし,坂梨に坂あり」と言われた外輪山越え。

右:国道57号までの下部は谷筋をゆく。

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左:国道から上部は,植林帯の中に道が残る。先日の伐開のおかげでイバラに悩まされずに通過できた。

右:滝室坂上が街道上の最高点。ここからは下り基調で道が延びる。国道と街道はほぼ沿って延びている。

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左:波野の道の駅付近にて。もうそんな季節か。元気に泳ぐ鯉たち。今日は西風があるので,これが追い風となり助けてくれる。

右:笹倉から先の街道は,国道57号から逸れて久住宿(くじゅうしゅく)へと続く山間部になる。当時では三日目の道程。

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左:壁谷(へきたに)の道標。当時この辺は人里は離れ辺鄙な所だったらしい。
右:水恩碑を過ぎると街道はこんな道を進む。良い雰囲気。

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左:「弁天坂(大利)の石畳」。台地上から谷底の大利(おおり)までの下り坂。
右:咲きかけたシャクナゲ。この花を見かける頃,季節は5月へと変わる。

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左:十六里木付近。約70km。12:45。目の前の坂を上れば大分との県境。ようやく全行程の半分。
右:山鹿(境の松)の石畳。地元の方の整備が有難い。

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左:大分との県境にある看板。赤丸で位置がつかめます。福山竜馬の大河ドラマの後に設置。それまでは道標類を何度依頼しても,なしのつぶてだったらしい。

右:大分側は熊本側に比べ標識類がほんどないので初見で街道を辿るのは不可能。この区間は山道なのでアップダウンの激しさと,25℃近い気温とで,徐々に疲労が蓄積されていく。喉の渇き,足の痛み,倦怠感など,苦痛の種類が増してくる。

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左:陽光を浴び元気に咲き誇る花。
右:「米賀(こめか)の石橋」。

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左:白丹(しらに)集落にある看板。これよりも道標を設置して欲しいんですが・・・。

右:白丹~神馬(かんば)の石橋までは細い道が続く。白丹集落東端の四つ角を左折して,知事様塔の脇を通るのが正規のルート。

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左:「神馬(かんば)の石橋」。ここまでくれば久住宿(くじゅうしゅく)までは指呼の間。
右:神馬集落はずれにある一里山石燈籠。左奥は久住連山。

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左:ようやくの久住宿。当時の三日目の宿泊地。約80km。14:36。足底に体重をかけると痛みが出て,ロボット歩きになる。でも痛みが出てからが本当の勝負。真価が問われる。「この痛みをどこまで乗り越えられるか」。

右:境川集落にある眼鏡橋。

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左:小倉(おぐら)峠から右折して412号線に入る。ここからは東進。

右:峠から今市(いまいち)までの約20kmはアップダウンのある山道。実はこの写真のバイパスは正規のルートではありません。街道通行経験者ならお気づきかと思われますが,当時は写真のように山を大きく削って道を開くことは技術的に困難で,山がある場合,左右のトラバースをするか,最短距離で山越えするか,のどちらかでルートが採られることが多かったようです。ここも正規のルートは左手の「高畑越え」と呼ばれる小山を越えていくものでした。今では道は完全消失,ヤブの中ですので,仕方なくバイパスを辿っています。

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左:苦しいときは自然に癒される。
右:神堤(かみつつみ)集落。日もずいぶんと傾いてきた。ようやく暑さから解放される。

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左:ここでも県道と街道は寄り添うように延びる。

右:やっとこさで今市(いまいち)に到着。約105km。18:49。しかし,本当の苦しみはここからだった。

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左:「今市の石畳」。ここのも立派に保存されている。

右:今市から野津原(のつはる)までは観光協会による看板が道標となる。今市の先のたまり(さんずいに甚)水からのルートは,現在の,山を重機で削って作られたバイパスではなく,山の北斜面を田ノ口集落方面へ回り込んで行くものだった。

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左:野津原で平野部に降りて,あとは鶴崎まで,約24kmを残すのみだが,100km越えてからの24kmは果てしなく遠い。足底の激痛のため,何度も立ち止まったり,道端に座り込んだりしながら,先へ進む。「前へ前へ」。

右:乙津(おとづ)橋。足底の激痛をひたすら耐えて辿りつく。どんなに遠い道のりでも諦めなければ必ず近づく。もうゴールは目の前。やった。

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左:もう深夜になってしまった鶴崎の町。

右:ゴールでは清正公が出迎えてくれた。「清正さん,熊本から走ってきましたよ!」。
総距離140,22km / 22時間39分26秒 / 時刻1:30 / 累積高度1,644m。

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左:翌朝,仕事に間に合うようにJRで帰熊。
右:九州横断特急に乗車。

とまあ,こんな感じでした。終わってみれば早いようにも感じる一方で,各地での様子が思い出されると,やはりそれなりに長かったのだな,と実感します。

走り終えると,もう過去の良き想い出化していきますが,今も足首付近に残る,未経験の痛みを感じていると,また一つ肉体的,精神的な苦痛を経験することで,大いなる達成感,自己肯定感を感じている次第です。

「苦しい,きつい,もうダメだ・・・」と思った所から,さらにどれだけ先まで自分を追い込めるか。
そこからが pushing limit,限界を押し広げるスタート。いつ終わるとも知れない人生街道と同じで,生ある限り「前へ前へ,そして上へ上へ」。

なにはともあれ,今回も無事に走りきれて,感謝です。

街道としては中級の豊後街道をクリアでき,次なる目標は,薩摩街道250km(上級),そしてその先にあるのは・・・東海道500km(最上級)!。生ある内に必ずやり遂げたい目標です。登山で言うとエベレスト登頂に匹敵する課題に挑戦するために,今日もまた地道な積み重ねが始まっていきます。


★次回はGW屋久島編です。今年も沢,トレランと予定を組んでいますので,お楽しみに!

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豊後街道

無事,完走できました。
詳細は後日アップします。
今回も苦しさとの葛藤でした。

熊本城札の辻~大分市鶴崎法心寺
140,22km / 22時間39分26秒。
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愛猫との別れ

12日の午前3:30,我が家の愛猫が息を引き取りました。
享年18才,私が学生の頃から飼っていた,家族の一員でした。

見かけによらず甘えん坊だったり,猫にしては珍しく,家族の帰りを玄関先でずっと待っていたりと,忠犬ならぬ忠猫振りが思い出されます。昨日と変わらないような日常の中で,今は,彼が「いない」違和感だけを感じています。名前を呼んだら,その辺から「ミャ~」というあの声で,やってきそうな気さえします。

老衰がひどくなり始めた2月中旬から,私たちは少しでも元気になればと,病院で定期的な点滴をしていましたが,今振り返ると,これが良かったのかどうか,悩む所でもあります。

腎臓,肝臓と不全に陥っていく中で,細くなった身体に点滴を打たれてまで生かされることと,もう死期は近いので早く楽にしてほしいということ,「彼は一体,どちらを望んでいたのだろうか?」

話は変わります。先日,職場の近くに一匹の,片足を骨折した猫がうずくまっていました。

見るからに野良,野生の猫です。こちらが憐憫の気持ちで近づいて手を差し出そうとすると,必死に逃げようと這いずり,牙を剥き,威嚇してきます。まるで「憐憫などいらぬ。来るな」とでも言っているかのように。この時の野生の猫の姿勢には,ある意味,心打たれました。その凛とした,見事な野生の生き様に。

翌日,野良の姿は,そこにはもうありませんでした・・・。

恐らく・・・我が家の愛猫にも,私たちに飼われてはいましたが,この野良と似たような野生の持つ感情があったのではと思っています。彼とは一時の別れにはなりましたが,いずれまた,一緒に生活できたらと思っています。

「自己憐憫」とは・・・自己中心性の思考により生まれるもので,キリスト教では罪の一つとされています。「野生」とは,常に生と死の狭間で生きていることでもあり,そこにあるのは自然の摂理のみ。すなわち,生存か死亡か。極めてシンプルな原則があるのみです(オッカムの剃刀)。野に生きるものは,すべからくその摂理に従って生きており,自己憐憫などというものはないように思えます。こういう感情を持つのは,「人間」だけではないでしょうか?だからキリスト教に限らず,罪(またはそれに近いもの)の一つとして定義している。

現代社会は極めて「死」を感じさせないような作りになっており,「死は先のこと」,「近くで死亡事故があっても自分には関係ない」と思っている人はいると思います。しかし,そのような「当たり前の生」という観念こそが,惰性で,生きがいの見出せない,時間だけが過ぎていく人生を作り上げているようにも感じます。人生の中で,自分の生かされている意味,なぜ自分に命が与えられているのか,それらのことを,「死」を通じて身をもって実感しない限り,日々の虚無感は拭えないと考えます。人間社会が自然界の中にある限り,死は常に生と隣り合わせなのです。明日も命があるという確証は,実はどこにもありません。

という風に思考を進めていく中で,「憐憫」,「野生」をキーワードにある詩が思い浮かびました。
イギリスの小説家(代表作:チャタレ-夫人の恋人)でもあり詩人でもあった,D.H.Lawrenceの「SELF-PITY」(自己憐憫)です。最後に紹介します。

I never saw a wild thing sorry for itself.
A small bird will drop frozen dead from a bough without ever having felt sorry for itself.

野生なるもので己を哀れむものを見たことがない。
小鳥が凍え死んで枝から落ちようとも,決して自分を惨めだとは思わない。

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阿蘇一周バイク

先日の鍋床谷の疲れを取るべく,阿蘇をロードバイクで走ってきました。
アクティブレストのつもりが,いつしかがっつり走るはめに・・・。

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左:瀬田を過ぎた辺りから上りが始まる。
右:阿蘇大橋の右折ポイント。南郷谷に入っていく。

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左:南郷谷の奥にある高森町付近。
右:高森から左折してすぐの「月廻り公園」。熊本の風景No.1との声も。右が根子岳,左が高岳。


月廻り公園の様子。

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左:大戸ノ越。ここからは下り基調。
右:根子岳東面。大戸尾根を望む。

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左:箱石峠からの下り。さっきとは逆に見える根子岳(左)と高岳(右)。阿蘇谷へ入る。
右:坂梨の桜。ちょうど満開。坂梨はかつて宿場町として栄えた。


箱石峠からの下りは絶景の中を爽快に下っていく。


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左:広い阿蘇谷をゆく。根子岳,高岳が背後に遠ざかる。
右:再び阿蘇大橋付近。ここからは長い下りが大津まで続く。


立野付近の長い下り。

とまあ,家起点で89.4km / 5時間08分のバイクランでした。
いつかは走ってみたかったので,ちょうど良かったです。

★次は天候次第ですが,いよいよ「豊後街道ラン」。
熊本城~鶴崎法心寺までの一気ラン。


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鍋床谷(そごう谷)左俣 in 市房東面

今日は快晴。今年二本目の沢にいってきました。
これまで二度入渓している鍋床谷左俣。

普通は同じ沢に二度行くことはほとんどありませんが,
ここは何度でも足を運びたくなる。高度差約1,350m,距離約3.8km。

大滝・中滝・小滝・ナメと揃い,遡行者を飽きさせることがない。
今回は,レーザー測距で滝の長さ(滝頭~滝下)を測っています。

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左:取水堤の先にある二条滝。中央の岩場を登っていく。
右:44m滝。見た目より遥かに大きい。

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左:58m大滝。貫禄と迫力を兼ね備えた滝。


出だしからこの迫力。期待が高まらないわけがありません。

右:左の滝上に広がるゴーロ帯。ホッと一息つく。

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左:左俣に入ってすぐの27m滝。右水線を登る。


27m滝の右壁を登る様子。

右:私的にこの谷で最もお気に入りの64m直瀑。このスッキリさが他滝より際立っている。

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左:右俣にかかる60m±大滝。
右:64m直瀑の落口。ここから覗き込んで滝下の石をターゲットにレーザー測距。

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左:29m二段滝。赤と白のコントラストが絶妙。
右:75mスラブ大滝。

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左:L47mナメ。
右:源流の渓相。下部の滝群を越えた後に訪れる楽園。

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左:二ツ岩から市房山までは尾根沿いのトレラン。崩壊が激しい。
右:市房山への最後の上りから振り返る。

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左:市房山からは槇之口へ下る。ここは距離6.8kmで,高度差1,405mを下る,九州一の標高差を誇る登山道。さらに槇之口から入渓点の大藪堰堤までは7.2kmのロード。沢用ザックをからってのランはきつさが倍増。何度も脚が止まるのを叱咤し,鞭打つ。

右:サクラと市房山。

とまあ,こんな感じで今日も無事に終了。遡行+トレラン+ロードラン全部で8時間かからない程度でした。やっぱり,このくらいの密度で運動しないと,運動した感が湧かないと痛感。


★次は阿蘇一周バイクトレです。


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沢始 【そごう谷:左岸支流a】 扇山北面

今年の沢始(さわはじめ)は,扇山北面を流れ下るそごう谷。
11年振りの再訪となりました。

ここは有名な木浦谷を分ける谷で,「男の木浦,女のそごう」と言われています。
そごう谷は女性的で,癒し系の沢というわけです。

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左:二俣まではそま道を辿る。いつもの渓相。
右:水面が美しい。


二俣手前からそごう谷に入る様子です。

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左:滝は小ぶりな物が多い。
右:ポロ沢出合い先にある10m二条滝。

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左:こういう水流がそごう谷らしい。

右:図上993m二俣。11年前は鬱蒼とした木々に囲まれ,陰鬱なゴルジュ状だったのが,大水で両岸が抉られ,木々が流されてしまい,開放的なゴルジュ状に様変わりしている。

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左:トユ流の曲線美。
右:源流付近。まだ初春の装い。

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左:霧立越縦走路。

本来なら,~カシバル峠~国見峠~木浦橋と走って帰る予定でしたが,急に力が入らなくなり,「こりゃいかん。最短ルートで帰らんば」と「馬つなぎ場」から直接二俣に下りる尾根をヤブ漕ぎで下山することにしました。

右:馬つなぎ場からの下山尾根。1050m付近は痩せ尾根にきれいな松林が続いており快適。この尾根は上部はスズタケ枯れ,下部は急勾配だが,下山用のヤブ道として使える。ルートファインディング難度は中程度だが侮れない。


二俣に降り立ち,そま道を走り帰ります。

今日も無事に遡行でき,感謝。
11年前の緑豊かな印象はなく,「ここも大水でやられたな」というのが感想です。
次回は,本流を扇山まで詰めてみたいと思います。


★次こそ,鍋床谷左俣+トレランです。

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豊後街道 番外編 滝室坂上部の道

今回は番外編。
滝室坂上部の街道の今をお伝えします。

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左:国道57号から入って50mほど進んだ所にある石畳跡。赤丸箇所が残滓です。
右:街道跡。今では杉の植林帯となっている。

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左:道は歩きやすい。
右:三椏(ミツマタ)の花。この樹皮は和紙の繊維として優秀で,現在でも紙幣などに利用されている。

ここでマニア話。「春に黄色い花が多い理由」

 春といえば,福寿草,セツブンソウ,リュウキンカ,マンサク,ミツマタ,菜の花,タンポポ・・・など黄色い花が多いですよね。これには訳があって,この時期の花粉媒介者(pollinator/ポリネーター,主にハエ類。通常は昆虫類ですが,この時期は気温の関係でまだ活動が不活発。)にとって,最も視認しやすい色なのだそうです。また,キンポウゲ科の花が多いことも知られています。
 さらに,黄色から太陽の「光」を連想する人が多いように,黄色には,躍動感,期待,などの意味があるそうです。まさに「春」という季節にピッタリ。そういえばキリスト教で最も重要な,春の復活祭(イースター)の時にもイエローが使われます。洋の東西を問わず,人間として感じることは共通しているのかもしれませんね。

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左:最初の尾根を少し登ると道は右へ曲がっていく。

右:最後の出口。ここからは平坦な道となり,手前に3~400mも行くと国道57号に合流する。ちょうどカヲの墓の案内板がある所。

これで何とか走れる程度に伐開ができました。
さて,後は日程の調整と天候次第です。早く走りたい!


★次は,沢始。「鍋床(そごう)谷左俣」(市房山東面)に入ってきます。帰りは市房山越えのトレランです。

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