FC2ブログ

九州の溯渓

主に九州の溯渓記録を集めたものです。 良かったら覗いていって下さい。

豊後街道 第二回 米賀(こめか)~久住(くじゅう)

さて豊後街道シリーズ第二弾。
今回は米賀(こめか)~久住(くじゅう)までの調査です。

今回も色々ありました・・・。
ではどうぞ。

P3010001.jpg       P3010004.jpg
左:産山(うぶやま)の石畳から境の松を経て大分県に入り,最初のチェックポイント。西進→北進に。

右:左のポイントから北に3~4km行った地点。バイパスと旧道の交差点。こういう所が最もやっかい。大抵の場合,新道は旧道を分断していたり,旧道と重なったかと思えば,ずれていたりと,散々うろつくはめになる。

P3010005.jpg       P3010007.jpg
左:ここも新道のせいでわかりづらくなっているポイント。今回の調査での教訓「歴史の発掘を妨げるものの一つは,文明社会における利便性である。」

右:やっと確認。新橋の上から眺める。大正時代(1924)に架けられた石橋。参勤道は本来,もっと上流の米賀集落内を通っていた模様。

P3010018.jpg       P3010021.jpg
左:ここも難儀した神馬(かんば)の石橋。白丹(しらに)から神馬まではバイパス(最新道路地図にもない)のオンパレードで,非常にわかりづらかった難所だった。現代版豊後街道においては,滝室坂,弁天坂などの急坂より,まずはコースを見つけ出す方がはるかに困難。

右:神馬の石橋を渡り15m進み,右へ急折。坂道を一里山集落へ登っていく。その集落の北はずれにあるのがこれ。石灯籠。熊本城から数えて18里塚(72km)あたり。一里(4km)とは久住宿からみた距離だと思われる。

P3010025.jpg       P3010026.jpg
左:久住の町中を抜け神堤(かみつつみ)方面への道。途中,左折して総合運動公園を目指す。運動公園はかつて縄文時代の遺跡(コウゴー松遺跡)が見つかった場所でもあったが,肥後街道もろとも整地された模様。

※肥後街道・・・豊後街道の大分側の呼称。大分県内では,肥後街道,または参勤道の方が通りが良い。

右:運動公園から道に迷った挙句の果てがこれ。人間,焦ったらダメですね,やっぱり。人生二度目のスタック。

結局,運動公園からの道は,敷地内に進入→100mほど直進すると右下にテニスコートがある→その手前を右折→コートの右端に切り分けがあり,それに沿ってコートを最奥まで回りこんで行き,右折して下っていくと,参勤道跡が現れ,黒岩橋から200m程内地へ入り込んだ場所へ出てきます。そして目の前の丘を越えて行けば,境川集落です。

車をスタックさせた見返りに得た貴重な情報でした。

今回はここまで。

いや~たかだが5kmくらいの道を探し出すのに4時間もかかりました。
この現代においてここまで非効率な作業も珍しいのではないでしょうか。

標識なし,人影なし,何もなし,の三重苦でイライラすることは当然ありますが,それと同様に,未踏の道を見つけ出す面白さをも感じている次第です。道が繋がった時などは「やったー!」となります。

こうなれば徹底的にコースを調査し,角という角の写真をとりまくり,2万5千分の1の地形図に,詳細なコースを記入していくことを固く誓う。完全に火がついた感じです。

これで熊本城から久住まで,コースを走る姿がイメージできてきました。久住まで11時間ってところでしょう。
本番は4月中。3:00熊本城出発~22:00鶴崎着。124km / 19時間と見ています。

残りは,境川~古屋敷~神堤(かみつつみ)~今市(いまいち)~野津原(のつはる)~鶴崎です。これからはルートもわかりやすくなってくるので,山間部の佳境は越えた,と勝手に楽観ししたい心境です(・・・でも再び迷ってみたい気持ちもある)。


★次回も街道調査です。さて,次はどこまで行けるか。

スポンサーサイト




ロードラン | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<豊後街道 第三回 久住(くじゅう)~今市(いまいち) | HOME | 南阿蘇トレイルラン(駒返峠南面)>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |