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九州の溯渓

主に九州の溯渓記録を集めたものです。 良かったら覗いていって下さい。

豊後街道 第六回 今市~胡麻鶴大橋

さて,目的地の鶴崎まであと約20kmになってきました。
今回は山を下り,平野部の調査です。

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左:小倉(おぐら)峠~今市への412号バイパス。街道は左の道。すぐ先で再びバイパスと合流。412号沿いにはこのような箇所が数箇所残っている。

右:今市の先にある,堪水(たまりみず)集落にある三渠碑(さんきょひ)。「渠」(キョ,みぞ)とは人工の水路のことで,山間の農耕のために工藤三助(元禄期)さんの活躍ぶりを示したもの。同じ「渠」でもこのような良例と,斉明天皇の「狂心の渠」(たぶれごころのみぞ)のような悪例とがある。

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左:堪水集落を抜けると新しい619号バイパスが横断している。街道は619号バイパスを突っ切って民家を抜け412号バイパスにいったん合流。その先で旧619号に入り(今では下部は消失。上部のみ残る),斜面をジグで登り,尾根筋を田ノ口集落へ向かい,山の北斜面を回りこんで,ハゼ山~坂口の石畳と下っていく。この山を回り込んでいく道は,一車線の舗装道が延びている。旧道は一部これとはコースがずれているが,現在,旧道は廃道状態で判別不能。

右:矢ノ原集落の端では,ミニ石橋を潜って進む。

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左:矢ノ原~宮ノ脇間は砕石場が街道を消滅させているが,予想を立てて山越えしていく。できる限り,昔のコースを辿りたい。

右:今も残る貴重な矢貫の石橋。一枚岩が当時と変わらず架かっている。ここから再び山(丘)越え。ほんと,街道はほぼ一直線に目的地に延びている。感心する。

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左:矢貫の石橋の少し先から山登りが始まる。そこにある石塚の石畳。

右:山越えで野津原(のつはる)へ降りてくる。本来は,もっと先に下りていたが,民家ができた関係で,このように不自然なコース取りとなってしまった。

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左:野津原を抜けた先にある往還田(おうかんた)。街道が通っていた場所が払い下げられ耕地→再び買い上げられ道路となり,その道筋が青色で示されている。先にある安全塔目指して,七瀬川を歩渡りする。橋の近くが「二の瀬」,いったん河原に上がり,すぐに「三の瀬」を渡ると,安全塔近くに出る。

※往還田に見られるように,参勤道=公道という見方は,コースを判断する上で役に立つ指標の一つとなる。例えば電柱は,公道沿いにしか敷設できないので,山間部で参勤道跡を探す際には,電柱のラインを読むことで街道跡が推測できる。

右:安全塔から来し方を振り返る。こんな近くで二回も歩渡りせずとも,川沿いに進むことは考えなかったのだろうか,との疑問がよぎる。野津原防衛のために,敢えて陸路ではなく,水路にしたことも考えられる。何たって清正公のことだからね。敵勢が大分側から進軍する場合,ここまで来るのに,七瀬川を4回も渡らないといけなかったわけで,それだけ進軍を大幅に遅らせたり,迎撃しやすい状況を作り出せる。

今回も色々な発見があった調査でした。


★次回はいよいよ鶴崎までのコースが判明しました。
市街地の佳境に突入です。
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