FC2ブログ

九州の溯渓

主に九州の溯渓記録を集めたものです。 良かったら覗いていって下さい。

姫路城&高野山

さて今回は今回の沢旅の目玉,姫路城と高野山の観光になります。それに値しないようなものでも,供託金にものを言わせて何でもかんでも世界遺産にしたがる日本で,両方とも訪れるに値する世界遺産と思っていましたので,楽しみにしていました。

まず姫路城からどうぞ。コメントなしで一気にいきます。見るだけでもその素晴らしさが伝わってくると思います。

P8260003c.jpg       P8260018c.jpg

P8260014c.jpg       P8260026c.jpg

P8260029c.jpg       P8260031c.jpg

P8260033c.jpg       P8260035c.jpg

P8260040c.jpg       P8260042c.jpg

P8260047c.jpg       P8260050c.jpg

P8260055c.jpg       P8260065c.jpg

さすがは白鷺(はくろ)城と呼ばれるだけのことはあり,とにかく純白な漆喰が印象的であるとともに,雲よりも白く青空に映えていました。地元の熊本城と比較しても,こちらの方が一枚上手ですね。城郭以外の付加価値的な所で勝負している感のある熊本城に対して,姫路城は城郭そのもので勝負して熊本城に勝っています。今年の3月に足かけ6年に及ぶ大工事を終えたばかりの,新生・姫路城を堪能できました。

 江戸時代に一国一城令(1615)が出されてから,全国に約3,000あった城は,約200まで激減しましたが,その中で熊本城も姫路城も,取り壊しが特に多かった西日本で生き残ることができました。それもひとえに家康の目論んだ外様大名対策です。

 外様大名は基本的に家康の元ライバル達で,強大な力を保持していました。その力を警戒した家康は,姫路城は毛利氏を,熊本城は島津氏を抑え込むための築城でした。姫路城は譜代大名の池田氏,熊本城は外様大名の加藤氏がそれぞれ築城した経緯があります。

 熊本城のように外様大名の城は特に意識して破壊されているのですが,熊本城は加藤氏の恭順により,また前述の島津氏対策のために破壊をまぬがれました。その城を現代でも目にすることができるのは,家康の英断と言えるのではないでしょうか(再建されてはいますが・・・)。

 また姫路城も二度にわたる姫路市の空襲にもかかわらず,戦中の空襲をまぬがれた幸運なども重なり,現代まで,一度も消失することなく生き延びています。これまであちこち城を見て回っていますが,全国にある城郭の中でも,その白さが特に際立つ名城でした。国内はもとより世界的に通用する遺産だと確信しました。

お次は高野山をお送りします。

P8280001c.jpg       P8280002c.jpg

P8280004c.jpg       P8280005c.jpg

P8280008c.jpg       P8280015c.jpg

P8280017c.jpg       P8280018c.jpg

P8280020c.jpg       P8280022c.jpg

P8280025c.jpg       P8280026c.jpg

P8280029c.jpg       P8280030c.jpg

P8280033c.jpg       P8280034c.jpg

P8280036c.jpg       P8280037c.jpg

 言わずと知れた日本仏教の二大聖地の一つ,高野山。真言密教を学んだ空海が816年,八つの峰々に囲まれた山上の盆地(東西6km,南北3km)を,曼荼羅の八葉蓮華に見立てて,この地を開きました。高野山は山全体を寺院としてとらえる「一山境内地」なので,高野七口と呼ばれる七つの門をくぐった山中は全て境内とみなされます。1872年に明治政府により女人禁制が解かれるまでは,女性の立ち入りは固く禁じられていました。

 そんな高野山の中でも二大聖地とされるのが「奥之院」と「壇上伽藍」。特に奥之院は約20万基とも言われる墓が立ち並び,最奥に,現在も入定されている空海のいる霊廟があります。ここの空気は周囲の凛とした空気とは明らかに一線を画すもので,奥深い質感をひしひしと感じることができます。神社などの神聖感のある空気とは異質な空気感です。

 傍らの墓名を見ると,石田三成,上杉謙信(景勝),武田信玄(勝頼),織田信長,明智光秀,豊臣秀吉,結城秀康,浅野内匠頭,しろありの墓(?)・・・等々全てのものを受け入れているようです(さすがにしろありの墓を見た時には,高野山の底知れぬ寛容さに驚きましたが・・・)。その極めつけは法然と親鸞の墓もあること。彼らは天台宗系の浄土宗と浄土真宗の開祖ですが,彼らの墓がここ,真言宗の総本山にあるとは。仏の御心は,人間の決めた宗派や敵味方など関係なく,森羅万象,全てを取り込んでくれるようです。延暦寺と違って焼き討ちの危機を逃れた高野山に,当時の人々は浄土の姿を見ていたに違いありません。

 太古の昔より,人々は政治,戦争,そして宗教に支配されてきました。宗教に関して言うならば,その信仰心がこれだけのものを作り上げたことを思うと,人間が持つ「信じる」気持ちの底知れない力を感じてしまいます。「信じる」ことこそ,人間に備わっている最も大きな力ではないでしょうか。高野山に来てこの場の空気を感じ,壮大な建築物を目の前にして,そう思わざるを得ませんでした。

 話は変わりますが,鎌倉幕府の8代目執権・北条時宗は元寇に際し,その対策に悩んでいる時,無学祖元から次のような言葉を送られています。「莫煩悩(ばくぼんのう)」・・・一度決めたらあれこれ悩まずに集中して事にあたれ,という意味の言葉を。その言葉を受け入れた時宗は,見事元軍の猛攻を阻止し,日本を守ることができました。「信じる」ことによって,偉大な事を成すこと,また,苦境を変えることも可能だと,歴史が教えてくれている気がします。ただし,「信じる」ことは壮絶な戦いでもあることを付け加えておきます・・・。

まだまだ書きたいことはありますが,あまり行くと際限がないので,この辺りで指を止めます。
 
最後は奈良の秘湯,「入之波(しおのは)温泉」を紹介します。

P8280040c.jpg       P8280041c.jpg
左:ダム沿いの道を奥に進むと温泉に着きます。この秘境感がたまりません。

右:ここの湯は重曹泉という泉質で,成分の炭酸カルシウムの付着で湯船は原型をとどめていません。重曹泉には乳化効果があり皮膚の汚れや古い角質を落としやすくする効果があるので,美肌の湯としての効能が期待できます。

P8280044c.jpg       P8280045c.jpg
左:自然を眺めながら,ぬる湯にゆっくり浸かると,今回の旅が回想されてきます。・・・姫路城の白さ,高野山の神聖さ,そして東ノ川シオカラ谷の豪快さ・・・今,この湯に浸かることができる喜びが込み上げてきます。どんなことがあっても「生きている」,これこそが一番の幸せですね。

右:ここは温泉通も唸らせることができる湯治場です。

という感じでした。やはり知らない世界を体験することは,色んな意味で刺激を受けますね。調べればわかるような知識の受け売にならないように,これからも各地に足を運んで,自分の目で見て,耳で聞いて,そして肌で素直に感じる経験を積み上げていきたいと思うような観光になりました。

★次は沢です。行先は桧山谷:左俣奥谷から林道を歩いて中俣右沢の継続遡行になります。大崩周辺では,渓相の悪さを楽しめる名渓です。
スポンサーサイト




日記 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<桧山谷 in 祝子川 〔宮崎〕 | HOME | 東ノ川シオカラ谷 in 北山川 〔奈良〕>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |